自分の「何となく意味の分からない苦しさ」を
突き詰めて行くうちに
あるひとつの仮説、あるいは、自分の傾向らしきものを発見しました。
それは
「同じことを繰り返すと、負債が貯まって死にそうになる」
ということです。
私は自分で申告できるほど
「まわりに気を遣ってしまう」人間です。
そのため、新しい環境。学校や職場、友人関係、地域社会において
割りとスンナリと
その集団に入って行くための知恵を心得ています。
恐らく小学校のときだけで
4回も5回も転校を繰り返したことが
関係しているのだと思いますが。
しかし、それはあくまでも
その場凌ぎの知恵に過ぎず
前のエントリの言葉を借りれば
「どこでも上手く学芸会をこなせる自信がある」
ということに過ぎません。
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ところが、問題なのは
「学芸会は何年も続けられない」ということです。
同じ場所にいて
学芸会的に振る舞う≒人に気を遣って
生きていますと
感覚的には、だいたい1年から1年半ぐらいで
確実に限界がやってきます。
心の無理が負荷を増大させ
あらゆることが「負債」のようにして
貯まって来てしまうのです。
もう、察しがつくと思いますが
そうなったとき
全ての関係を清算したい、という解放への欲望が膨らみ
「会社を辞める」
「関係性から離脱する」
あるいは、土地そのものを離れる。
といった行動を私はとってしまいます。
これは1度や2度のことでなく
今までの人生で何度か繰り返されて来たことです。
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書いてるうちに少しまとまってきました。
これを整理すると
だいたい、以下のようになります。
・短い期間であれば仕事をこなすことができる
・それなりに人間関係を作ることもできる
・しかし、それはどうしても学芸会的である
・ある程度の日常の円環が始まる(安定)すると
・ふつうの人は落ち着いて来るのに
・私は逆に不安になり、負債を溜め込む
・しかるに、同じ場所に長い時間、留まることができない。
・しかし日本社会とは、同じ場所での「積み重ね」にこそ
・ほとんど全ての価値を認めて行くものであり
・労働市場においても、人間関係においても同様である
・さて、それでは同じ場所に留まれず
・流動することでしか日常をやり過ごせない
・そんな自分はどうすればいいのか
・また、何が原因でそうなってしまうのか
などを、もっと深堀して、考えていきます。
2012.10.22
[3回]