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小4のこころ

小学生の頃に感じていた様々なことを、逃げずに、改めて考えてみようというスペースです。

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ニート考(他人様)

世の中には
ニートの諸兄、諸姉の
ニートブログ、ニート日記なるものが存在している。

いくつかに目を通させていただいたのですが
どれもまた
極めて真っ当というか
共感せずにはいられない、数々の心情吐露や
生活の記録があります。

アフィリエイト的に
頑張っているものもある。


人それぞれに
なぜいま、ニートなのか。
という様々な理由があり
一概にこうである、などと
要約することはできない。

しかし、ブログを読んでいると
かつての「だめ連」との対比を
無自覚に行ってしまう。

だめ連の時代とは
すなわち「ダメになること」「よりダメを目指すこと」が
ひとつの反社会的なものであり
アイロニカルなものとして
機能していた気がする。

しかしいま
「ニート」ということは
反社会とか、アイロニカルとか
だめを目指す、と言うよりも
もっとこう
「自己を保つためにこれしかない」
というような切実さと
正しさがあるようにさえ、感じられる。


以下、いくつか
おすすめのブログを紹介。
読んで行くと、色々と学びが多そうだ。

http://blog.livedoor.jp/kaia2/
29歳ニートのブログ

http://koko2012diary.blog.fc2.com/
現役大卒ニートKokoの日記

http://neeteveryday.blog.fc2.com/
NEETめし

http://fmfm.ldblog.jp/
一人暮らしでひきニートな生活の記録。

http://hikikomori365.blog.fc2.com/
HIKKY NOTE

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ニート考(自分編1)

自分自身のことを振り返ろう。

大学を出て、いきなりブラック臭ただよう企業に就職してしまった。
という気がしていた。
毎朝7時に出勤し、帰りは23時過ぎという毎日。
休日出勤も多かったが
もちろん、残業代はゼロ。

仕事は税理士業務の補佐だったが
そのうち、考えられないミスを連発するようになり
自分が担当していた顧客に
経理上、税務上のミスが累積。
何百万もの損失を与える可能性がでてきた。

この段になると
もう、この会社を辞めたくて仕方ないわけですが
辞めるというと、次の担当者に引き継ぎをし
半年ぐらい、会社に留まり続けると言うのが
前例であり、この会社の慣習。

しかし、次の担当者に「引き継ぎ」を行うと
その何百万もの損失可能性が、ドカンと露になりますので
寮からの失踪を試みたりとか
「鉄道の線路の上で横になれば、精神異常だったと認めてもらえるだろうか」
「朝の通勤電車で激しい痴漢をすれば、精神異常だったと認めてもらえるか…」
など、真剣に考えていた。

結論から言うと
一応、曖昧な引き継ぎを行った末
ほとんど逃げるように職場を離れ
それから実家に戻った。


-------------------


そういったほとんど
トラウマに近い経験から
働く気など、毛頭なかったわけだが
実家に帰ったことで、両親の「働け!仕事しろ!」コールが始まった。

前の会社がブラック企業だったとか
頭がおかしくなって
ミスを連発したと書けば
何となく「その環境が良くなかったのだから」ということで
他の会社、他の職種であれば
どうにかなる、と考えるのが第二新卒だが

私は、会社を辞める段階で
何かこう、もっと本質的な部分で
会社に勤めることに適性が無いのではないかと
感じていた。
「転職」して片付くような問題では
どうにもなさそうだ。。。


無論、両親にそんなことを説明できるわけも無く
前の会社を辞めてから3ヶ月足らずで
新しい職場が見つかった。

今度は前の会社ほど
労働時間が長いことは無く
頭がおかしくなるほどのプレッシャーを
かけられることもない。
まあ「善良な職場」といえた。

しかし、この「善良な職場」でこそ
私は自分が抱えている
「本質的な困難」にやはり直面してしまう。


私はほとんど1度も
仕事が楽しいとか、人生の生き甲斐だとか
そんなことを感じたことがなかった。
気持ち悪い笑いを振りまき
分かりきった「ヨイショ」をして…

つまりは「本当はやりたくないんだけど、仕方ないから」
やっていることであって
つまりは「ネタとして、学芸会的に」
やっているものだと思っていた。

ところが、世の人たちは
決してそうでは無かったのだ。
どうも彼らの話を聞いてると
「○○(社名)さん、△△(社名)さん」と
互いに会社の名前で呼び合ったり
気持ち悪い不自然な敬語を
連発し合いながら
酒の席でまで、嬉々として仕事の話を持ち込み
上司が見ていようが、見ていまいが
何だか、わけのわからない情熱を燃やすのだ。

私には、どうも
彼らが「ネタや学芸会」で仕事をやっているとは思えず
彼らは明らかに
ベタにそれに価値を感じて生きているように見えた。


別に何を強要されるでもないが
「これはネタなんだ、学芸会なんだ」
と思っている自分が
「これは生き甲斐なんだ、価値なんだ」
と思っている人々と
机を並べて何かを為すのは
ほとんど拷問に近いものがあった。

少なくとも、職場にいるときだけでも
彼らに歩調を併せようとするのだが
「分裂」とは
まさに、これを指すのか。という具合に
苦しいものであった。

結果、わたしは次の会社を
入って1年で辞めることになった。


------------------------


さて…、ここでニート一直線。
と言いたいところだが
会社でも「学芸会」をやってしまう私は
実は家庭でも
学芸会的なのであった。

父親は絵に書いたような
労働価値信仰者であり
息子が「働かない」ことに対し
何より強い関心を寄せる人物だった。

また、母親は
父親より遥かに物わかりがよいが
とかく心配性なところがアリ
「一般」や「世間」というワードに
弱いところがあった。

私は早々に
「実家ではニートもできない」ことを
知っていた。


それゆえ、何とか体裁よく
実家を離れて
「1人暮らしでニートをやる」
方法を考えた。

そこで思いついたのが
「作家を目指すために上京する」
という口実である。

実際に文章を書くことは
好きであったし
書くことで食って行けるのだとすれば
それは最高だとさえ思っていた。

だが、それよりも優先したのは
とにかく1人暮らしをして
失業保険や、基金訓練の給付金、貸付金で
できる限りのニート生活を
満喫したいという
その強い思いのみであった。

恐らくもう
どの会社に就職しても
同じことの繰り返しだろうと感じていた。
さすれば、ニートになるか
フリーの芸者(物書き)として、細々と世に認めてもらうしかない。と。


「モノ書きになるために上京するから(キリッ」

という私を
父親は目を細めながら眺めてくれたが
実はここからが
私のニート生活の始まり
両親への「虚偽報告」の始まりなのであった。


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わたしたちの成分

ここでは、私たちはそもそも
どのように生きて来たのか。

どうして「生き辛い」という概念が生まれるようになったのか。
そもそも「何に対して」
生き辛い、などと思うようになったのか。

日々、少しづつ、加筆して考えて行きます。
ずらーっと、つながった文章にはなりません。
書き終えたら、少し、まとめる程度。


-------------------


まず最初に、このことを考えるための
見取り図をイメージしてみました。


人の起源

定住生活が始まるまで

定住とコミュニケーション、社会の誕生

自然状態について

「生き辛さ」を認識した人々

現代における「生き辛さ」について

私にとっての「生き辛さ」について


まだ最初なので、見取り図もどんどん変わって行くと思いますが
なぜいま、自分はこうなった?という問題と
なぜいま、自分たちはこうなった?という問題を考えるには
かなり時間を遡って考える必要があると思っています。

時間を遡ることで
いま、私たちが当たり前だと思っていることが
なぜ当たり前になったのかが分かり
そこから、なぜ自分がズレてしまうのかについて
多少なりとも考えられるような気がします。

2012,10,21
-------------------------------

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ブログの趣旨について

こんにちは。はじめまして。
小4の人です。

ここは
自分のための雑文置き場なのですが
何となく露出癖があるので
このように公開のかたちを取らせていただきました。


率直に申しまして、もう少し上手く
世の中で生きていけるのではないかと思っていました。

しかし、今のところ
どうも上手く行っていません。

どの辺が上手くいかないのか、それもよく分からないのですが
端的にいえば
これは楽しいんだ、と皆が言うことを
どうしても楽しめなかったり
大事なんだ、ということを
やはり大事だと思えない、という辺りに問題があるような気がします。

そんなことを繰り返すうちに
じぶん1人でいるときと、誰かと一緒にいるときの心持ちが
まったく違う感じになってしまい
結果、「ひとりが最も楽しい」というような、狭小な状態になってしまいました。


それはまあ、誰でも皆
そういうところがあるんだよ。という気もしますので
私だけがキョクタンにそうなっているのか
確かに、疑わしいです。
もしかすると、誰もが同じなのかもしれません。
狭小な状態とやらを
脱出したいと思ってるのかどうか、それも分かりません。

ここでは、そうした悶々とした問題を
逃げること無く、文字化して
自分なりに考えてみたいと思っています。


考えるときに
何かこう、知ったかぶりの難しい概念を使ったりとか
そんなことももちろん、あるわけですが
根本に遡って考えると
それらは、自分が小学生の頃(たぶん4年生ぐらいがピーク)に
色々と感じていたこと、考えていたことに
結局は戻って行くことに気づかされます。

自分にとって
逃げずに考える、とは
子どもの頃の自分の問いを検証するということなのだと思います。


このようなものではありますが
皆様からも声をいただければ幸いです。

他の方のブログからも
学ばせていただければと思います。
リンクのお願いもするかもしれません。
よろしくお願いします。

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男性
自己紹介:
都内在住。部屋の中でのじぶんと、職場でのじぶんと、そのギャップに裂かれつつ生きています。小4の頃のさまざまな疑問がまったく解けない日々。趣味は二郎めぐり、哲学・社会学・民俗学に関すること、高校野球

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