自分自身のことを振り返ろう。
大学を出て、いきなりブラック臭ただよう企業に就職してしまった。
という気がしていた。
毎朝7時に出勤し、帰りは23時過ぎという毎日。
休日出勤も多かったが
もちろん、残業代はゼロ。
仕事は税理士業務の補佐だったが
そのうち、考えられないミスを連発するようになり
自分が担当していた顧客に
経理上、税務上のミスが累積。
何百万もの損失を与える可能性がでてきた。
この段になると
もう、この会社を辞めたくて仕方ないわけですが
辞めるというと、次の担当者に引き継ぎをし
半年ぐらい、会社に留まり続けると言うのが
前例であり、この会社の慣習。
しかし、次の担当者に「引き継ぎ」を行うと
その何百万もの損失可能性が、ドカンと露になりますので
寮からの失踪を試みたりとか
「鉄道の線路の上で横になれば、精神異常だったと認めてもらえるだろうか」
「朝の通勤電車で激しい痴漢をすれば、精神異常だったと認めてもらえるか…」
など、真剣に考えていた。
結論から言うと
一応、曖昧な引き継ぎを行った末
ほとんど逃げるように職場を離れ
それから実家に戻った。
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そういったほとんど
トラウマに近い経験から
働く気など、毛頭なかったわけだが
実家に帰ったことで、両親の「働け!仕事しろ!」コールが始まった。
前の会社がブラック企業だったとか
頭がおかしくなって
ミスを連発したと書けば
何となく「その環境が良くなかったのだから」ということで
他の会社、他の職種であれば
どうにかなる、と考えるのが第二新卒だが
私は、会社を辞める段階で
何かこう、もっと本質的な部分で
会社に勤めることに適性が無いのではないかと
感じていた。
「転職」して片付くような問題では
どうにもなさそうだ。。。
無論、両親にそんなことを説明できるわけも無く
前の会社を辞めてから3ヶ月足らずで
新しい職場が見つかった。
今度は前の会社ほど
労働時間が長いことは無く
頭がおかしくなるほどのプレッシャーを
かけられることもない。
まあ「善良な職場」といえた。
しかし、この「善良な職場」でこそ
私は自分が抱えている
「本質的な困難」にやはり直面してしまう。
私はほとんど1度も
仕事が楽しいとか、人生の生き甲斐だとか
そんなことを感じたことがなかった。
気持ち悪い笑いを振りまき
分かりきった「ヨイショ」をして…
つまりは「本当はやりたくないんだけど、仕方ないから」
やっていることであって
つまりは「ネタとして、学芸会的に」
やっているものだと思っていた。
ところが、世の人たちは
決してそうでは無かったのだ。
どうも彼らの話を聞いてると
「○○(社名)さん、△△(社名)さん」と
互いに会社の名前で呼び合ったり
気持ち悪い不自然な敬語を
連発し合いながら
酒の席でまで、嬉々として仕事の話を持ち込み
上司が見ていようが、見ていまいが
何だか、わけのわからない情熱を燃やすのだ。
私には、どうも
彼らが「ネタや学芸会」で仕事をやっているとは思えず
彼らは明らかに
ベタにそれに価値を感じて生きているように見えた。
別に何を強要されるでもないが
「これはネタなんだ、学芸会なんだ」
と思っている自分が
「これは生き甲斐なんだ、価値なんだ」
と思っている人々と
机を並べて何かを為すのは
ほとんど拷問に近いものがあった。
少なくとも、職場にいるときだけでも
彼らに歩調を併せようとするのだが
「分裂」とは
まさに、これを指すのか。という具合に
苦しいものであった。
結果、わたしは次の会社を
入って1年で辞めることになった。
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さて…、ここでニート一直線。
と言いたいところだが
会社でも「学芸会」をやってしまう私は
実は家庭でも
学芸会的なのであった。
父親は絵に書いたような
労働価値信仰者であり
息子が「働かない」ことに対し
何より強い関心を寄せる人物だった。
また、母親は
父親より遥かに物わかりがよいが
とかく心配性なところがアリ
「一般」や「世間」というワードに
弱いところがあった。
私は早々に
「実家ではニートもできない」ことを
知っていた。
それゆえ、何とか体裁よく
実家を離れて
「1人暮らしでニートをやる」
方法を考えた。
そこで思いついたのが
「作家を目指すために上京する」
という口実である。
実際に文章を書くことは
好きであったし
書くことで食って行けるのだとすれば
それは最高だとさえ思っていた。
だが、それよりも優先したのは
とにかく1人暮らしをして
失業保険や、基金訓練の給付金、貸付金で
できる限りのニート生活を
満喫したいという
その強い思いのみであった。
恐らくもう
どの会社に就職しても
同じことの繰り返しだろうと感じていた。
さすれば、ニートになるか
フリーの芸者(物書き)として、細々と世に認めてもらうしかない。と。
「モノ書きになるために上京するから(キリッ」
という私を
父親は目を細めながら眺めてくれたが
実はここからが
私のニート生活の始まり
両親への「虚偽報告」の始まりなのであった。
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